ときどき美術展には行くけれど、いつも損をしている気分だった。

美術館などで絵画を見るのは好きだけど、普段から家で画集を見たりするほどの趣味があるわけじゃない。

普段から家でも画集を鑑賞することが習慣としてある人と比べたら、僕の絵画へのアンテナはずいぶん感度が低いものじゃないだろうか。そういう意味で、損をしていると思うのだ。

これが音楽の話だと、損したなんて思わない。日頃からロックでもクラシックでもジャズでもなんでもよく聴いているし、コンサートにも時々行って、音楽を素直に楽しんでいる。自分なりの楽しみかたがあって他人と比較することもないので、アンテナの感度が高いか低いかなんてことすら問題にならない。映画でも同じだ。きっとそういう人は多いだろう。

だけど、絵画となると、落ち着かない気分になってしまう。音楽や映画への感度と比べると、絵画は相対的に低いと言わざるをえない。難しいことを考えずに見たままを楽しめばいいという考えもあるのだろうが、それでは納得がいかない。

そういうもやもやが長年あった。

ところが最近、岩波新書の「名画を見る眼」を読んでやっと一歩前進したような気がする。1969年に出版されたかなり古い本だ。

実は、かなり昔に買ってちょっとだけ読んで、そのまま本棚にしまっていた本だった。たぶんその時はおもしろくなかったのだろう。

だけど、最近ふと手にとって最初から読み始めたところ、以前とは違ってかなりおもしろいのだ。名画の構図が非常に計算されたものであること。宗教的なモチーフや制約のこと。作者がどのような人物だったのか。美術史上での作品の意義はなにか。そして何より文章がわかりやすくて、素敵だと思う。

僕は印象派の絵は好きだったけれど、それ以前のいかにも宗教画みたいな油絵はいまいち良さが理解できなかった。 この本で扱われているのは、油絵が始まった頃から、印象派の登場までの400年の話なので、まさに僕が敬遠していた絵画が対象だったのもよかった。

もちろん、この本を読んだからといって、美術に詳しくなるわけじゃない。

わかったのは、美術鑑賞をどんな風に楽しめばいいのかということだ。

読み終えてから、この本のAmazonレビューなんかを見ると、この本はかなりの名作だったことがわかった。作者の高階秀爾さんも著名なかたで他にもたくさん本を書かれている。評判がよかったのか1971年には「続・名画を見る眼」も発売されている。そっちは印象派に扱われているようなので、次はこっちを読むつもりです。

とにかく、この本のおかげで、いろんな画家へのとっかかりが自分のなかでつくれた。おかげで図書館へ行って画集をいろいろ見るのが楽しくなった。まずはその辺からちょっとずつ始めていこう。