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おれってダメランナーかもしれない。今日、走りながらつくづく思った。

なぜなら、同じコースを何周も走るってのが苦痛で仕方ないからです。

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例えば、1周が2kmのコースを5周して合計10km走ることが苦手です。

1周5kmのコースを2周するのだって同じ。一度、走ったところを再び走るのが嫌なのです。

だから僕の場合、例えば、河川敷をひたすら南下して5km地点でUターンすることで往復10kmを走ります。もしくは街中をぐるっと1周するとか。それだと苦痛ではない。あくまで気持ちに関しての話です。

苦痛な理由を考えてみると、まず風景が単調に思えてくる。これは僕がランは少しでも楽しみたいと思うのと関係している。

さらに別の理由は、残り何周を走らないといけない、ということを意識するのが苦手だからです。

例えば、片道10kmを往復して20km走る場合、何キロを走るかは意識する必要はありません。ゴールに向って走るだけで結果的に20km走ったという感覚です。フルマラソンで残り何キロかを意識することも苦痛ではないのも、同じコースを走るわけではないからです。

一方、1周1kmのコースを20周するとしたら、現在何周目で残りがどれだけかを意識しないと走れませんよね。GPSウォッチに任せておけば、何周かを数える必要はないけれど、同じところをぐるぐる周っているだけなので、結局、残りがどれだかを意識してしまうはず。ああ、苦痛だ。

僕にはランナーとして何か重要な資質が欠けているのだろうか。

以前、読んだ浅井えり子氏の「ゆっくり走れば速くなる」って本に確か書いてあったことだけど、テニスコートぐらいのスペースがあればトレーニングできるそうです。小さなスペースでも、縦横斜めにコースをジグザグに走れば、いくらでも走れます、という話でした。

その話を読んで、アスリートのメンタリティに愕然とした。僕にはとてもじゃないが真似できない。

しかし、アスリートではない市民ランナーの方でも、普通に何周も走るようなトレーニングはされているはずだ。だから、そういうことが苦痛な自分を情けなく感じてしまうのだ。

その一方で、ペースを上げて走るとか長距離を走ることから生じる肉体的な苦痛については抵抗がない。毎回、苦しいし、へとへとになってしまうけれど、気分的に嫌だということはない。

さらにランニング用に服を着替えて家を飛び出すのが苦痛ということもあります。だけど、村上春樹氏の「走るときについて語るときに僕の語ること」で言及されていましたが、割と普通のことらしいので、それで自分が情けないと思う必要はないのです。

そういう訳で、どうやら僕にとっての精神的に苦痛な問題は、同じコースを何周も走ることだけのようです。

嫌だからこそ、あえて周回コースのトレーニングに励むべきなんだろうか? そうすることで僕のメンタル面が強化されるのだろうか?

そんなことを考えながら、ランニングする日々です。